ティツィアーノ・テルツァーニさん逝去
「ツインタワーの崩落を生中継で観たというだけで、すべてを目撃し、すべてを理解したつもりでいる世界の視界の外で、新しい武器と新しい手段による、宣戦布告のない戦争の数々がもう長いことつづいている」(『反戦の手紙』より)と2002年9月14日に書いたイタリア人のティツィアーノ・テルツァーニが7月29日に亡くなられたと、訳者の飯田亮介さんがメールマガジンで知らせてくださった。癌にかかっていて、「数ヶ月のうちに、わたしもまた自分の肉体を去ることになるわけだが」と『反戦の手紙』の日本語版序文に「日本の友への手紙」と題して書かれていたとおりに、テルツァーニ氏は去っていってしまった。『反戦の手紙』が全編を通して語りかけている、戦争そのものを生み出す私たちの文明を転換させていこうという呼びかけは、いまだに未完のまま、私たちの手に委ねられている。テルツァーニ氏逝去の知らせは、そのことをよりはっきりと私の前に示してくれた。
『反戦の手紙』のなかで私が好きな一節はカブールについて書いた、たとえばこんな箇所だ。
「ビニール製タイル数枚が残るほかはセメントむき出しの床に敷かれた寝袋の中、私は目を覚す。すると、この地を目指した旅人の誰もが夢に見て来た風景、そのすべてがこの眼に飛び込んでくる――冠状に連なる伝説的な山々は、ムガール帝国の始祖バーブル皇帝が一目見ただけで生涯忘れることが出来ず、ついにはそこが自分の墓所となることを望んだ場所だ。その山々に囲まれた谷を流れる川の両岸に、この街は生まれた。かつてある詩人は、この街カブールのペルシャ名の二音節にかけて「私の故郷はどこだって?ほら『バラの花びらのあいだの一滴の露』だよ」と記した。」
ブッシュが始めた「対テロ戦争」という野蛮な欺瞞を批判し、非暴力の思想を説くテルツァーニ氏の背後にある世界がどのような広がりをもっていたのかが、このような一節から浮き上がってくる。(ときにムジャヒディンの描き方がステロタイプ化している──粗野でファナティックな人々というイメージ──のは、気になったが)イタリアで生まれ、アジアを旅して回り、人生の最後をヒマラヤで過ごしたテルツァーニ氏は、偏狭な特権的世界ではなく、様々な豊かな文化の層のなかを旅していた。
ヒマラヤの自然との対話のなかから、確信を持って届けられたことば。「わたしたちのひとりひとりに、なにかができるのだ。みんなでならば、数えきれないほどのことができる」
テルツァーニの言葉に背中を押されながら、「では、みなさん……よい旅を! 外の世界でも、また、自分の中でも。」というテルツァーニにお別れを言おう、「いい旅をありがとう」と。「これからは自分の旅をしていくよ」と。
テルツァーニの言葉を日本語にして届けてくれた飯田亮介さんにもお礼を言いたい。そして、最後の作品となった『Un altro giro di giostra・メリーゴーランドのさらなる一周』も日本語になって届けられますように。
飯田さんのウェブ
http://www.ryosukal.com/index.htm
ティツィアーノ・テルツァーニ Tiziano =Terzaniの世界
http://www.ryosukal.com/tt/tt.htm
|| コメント(1)| Track back(0) | 2004-07-30
| ■ 追悼ページ | |
| 「反戦の手紙」ご紹介ありがとうございます。 残念ながら、彼は二度と帰ることのない旅に出てしまいました。 テルツァーニ追悼ページを開設しました。彼の友人たちの追悼文を中心に 訳文を随時追加して行く予定です。 本当であれば、彼の最後の作品の翻訳作業に入りたいのですが、大部であることと出版社探しが困難であることから、とりあえず、テルツァーニという人間について語ってくれる友人たちの言葉に頼ることにしました。 以下にリンクを記します。 http://www.ryosukal.com/tt/addio/index.htm よろしくお願いいたします。 | |
| 飯田亮介 (2004-08-07 08:43:00) |
