書いておきたいこと
今回のヤシン師暗殺については、米国は除き、かなり強い調子の批判が出ている。英国のストロー外相などは毅然とした態度で不法な手段を非難していた。それに比べ、福田カンボーチョーカンという人が言った言葉の中身に愕然とした。「…このような重大な結果を招くことについては、慎重に行動してほしい」とか、なんとか言っていた。つまり、「大したことがない人物の暗殺はオッケ」ということ?何の主体性もない言葉。これだから、米国にくっついていくわけだ。
ヤシン師暗殺の数日前にも、パレスチナではミサイルによる攻撃がいくつかあった。そのうちのひとつはラファで、群衆の中に打ち込まれて、少年が2人殺されている。こういう殺しはいいのだろうか?
パレスチナからのいくつかのメールによると、怒り、悲しむ人はもちろん多いが、雰囲気としてとても重苦しいものが張りつめているとあった。コレから一体どうなっていくのか。それが最も大きいことなんだろうと思う。
今回の攻撃は、「非武装」「非暴力」を掲げて闘っているパレスチナ人たちにも大きな打撃になっていると考えるととてもやりきれない。
隔離壁で自分の人生が壊されていくことに対して、多くの西岸の村で、「非暴力」の闘いが続けられてきた(ま、若者が石を投げているところもあるけれど、それすらやめるようにと言っているところもある)。
おばあさんも子どもたちもブルドーザーの進路に身をさらして、催涙弾やラバーコート弾や警棒の暴力にさらされている。殺された者も出た。負傷者は数限りない。あれだけ殴られたり、蹴られたり、やりたい放題にされて、それでも「非暴力」しか闘いの道はないとやってきている。
目の前で家族が殴られ、蹴られ、傷つけられていても、それでもこらえてやっていくというのは本当の勇気がいることだ。どれだけ我慢をしているのだろう?(これはパレスチナ人のここ50年以上の歴史に渡って言えることなのだけれど)。
そういうさなかに、怒りに火をつけるような今回の暗殺は、特に若い人たちの暴走を招く可能性が大きい。本来は非暴力でいこうとする人々をもっとイスラエルは応援するべきじゃないのか?それが本当に「和平」を作ることになるのじゃないのか?どうもそうしたいのではないらしい。
「壁」を止めようとする非暴力の闘いに、一番参加しているイスラエル人がイスラエルでは蛇蝎のごとく嫌われ、「超・過激」のレッテルを貼られているアナーキストたちだというのも意味深いと思う。
(追加情報)なぜかAPが「イスラエル、暗殺の歴史」みたいな年表的なものを発表していた。とても、全体をカバーしているとは言えないが、このような事実が出るのは悪いコトじゃない。
http://news.yahoo.com/news?tmpl=story&u=/ap/20040322/ap_on_re_mi_ea/targeted_killings_glance_2
|| コメント(0)| Track back(0) | 2004-03-24
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