『世界はどこに?』──封鎖されたナブルスより
サイトにアップする余裕がないので、ここに臨時アップしておきます。****以下、転送を歓迎します****
○○○ナブルス通信 2004.1.27号○○○
http://www.onweb.to/palestine/
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◇『世界はどこに?』──封鎖されたナブルスより
ケリー・B
2004年1月24日
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ぶっちゃけた話、昨日、ラファのことを送ったばかりなのに、また、こんなことを送るのはどうなんだろう?という思いもあります。しかし、ここで書かれていることは、まったく報道されていないことなのです。ナブルスの人たちが叫んだ言葉は、ラファの人の言葉と瓜二つでした。緊急で訳しているので、非常に粗い訳ですが、事態は伝わると思います。
[ナブルス通信]
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『世界はどこに?』──封鎖されたナブルスより
ケリー・B
2004.1.24
ナブルス (ISM(国際連帯運動)からのレポートより)
2週間前、イスラエル軍と報道がナブルスの侵攻は終わったと告げました。しかし、毎日の作戦は軍がその気もなく、また撤退していないことを明らかにしています。先週、兵士たちはカーテン屋のアブドゥル・アルカッサの家を包囲し、その家で寝ていたアルアクサ殉教団の活動家、イブラヒム・アタリを逮捕しました。アタリとアルカッサが外に連れ出された後、アルカッサはアタリが誰でなぜ彼の家で寝ていたのか説明を求められました。
アルカッサの答えは「知らない」でした。それに対して、兵士たちは 彼の膝とお腹と口元を撃ちました。アルカッサは自分の家の前で出血のために死ました。その後、兵士たちはアタリを別な場所に連れ去り、暗殺しました。[訳注*アタリは最初から殺されていたという説 もあります]
22日木曜日、軍用ジープとハマー、戦車とブルドーザーの大軍団が 午前3~4時の間にナブルスに押し寄せました。それから午後6時までナブルスの人々は包囲下に置かれました。
街での作戦の中心は大学近くのオブアイデ通りに集中しました。100軒以上の家の人々が家に幽閉される状態になり、一日中、食べ物も医療も得られず、仕事にも学校にも行けませんでした。そのうえ、戦車と軍用ジープと兵員輸送車は街の中心部をパトロールして回り、人々の移動は妨げられました。外出禁止令は出ていませんでしたが、軍の大きな存在と絶え間ない銃撃によって、実質的には外出禁止令が敷かれていたといえます。
午前中、私たちはオブアイデ地区にある3つの学校の生徒たちが囚われの状態にあるという情報を受け取りました。イスラエル軍のひどい無差別の銃撃が学校を取り巻いていました。救急隊員と一緒に何百人という怯えた少女たちを学校からエスコートしましたが、最初は学校のある地区に入ることを軍に止められ、次には少女たちに付き添っていると地区の中で発砲が始まりました。
オブアイデ通りでは朝の4時から20人の人々がモスクに閉じこめられていました。軍が侵攻してきたときに、早朝の祈りに出ていた人々です。救急隊員がそのなかの一人が治療を必要としているとの知らせを受けて、私たちはモスクに行こうとしました。するとすぐに通りの建物には誰もいない──モスクも含めて──と主張するイスラエル軍に止められました。モスクの窓から私たちに合図を送ってくる女性や男性たちを見ながら、私たちは兵士の横を通り抜けようとしましたが、兵員輸送車とM16ライフルによって遮られました。
午後1時までに7人の子どもたちがナブルスのいろいろな地域で撃たれていました。そのうちの3人は学校のそばで撃たれています。少なくともそのうちの3人は実弾で撃たれていて、10歳の少年はお腹に重傷を負っています。いったい、この日の他に何人が怪我をしたのか、私には正確にわかりません。が、ほんとうにたくさんのひとが救急車で運ばれています。
兵士はレジスタンスの闘士がある建物にいると信じてそこを捜索していました。その闘士の兄弟を拘束し、また、年老いた母親を連れだし、家の前に立たせ、彼の名前を呼ぶように無理強いしました。しかし、息子を殺されたくない母親は、息子に対して、もし家のなかにいるなら、家にとどまるように、そして神が見守ってくれていると語りかけました。
この日の作戦は15マイル先へ届く大きな爆発音によって、終わり告げました。私たちは壊された家の下の道にいて、ガラスや瓦礫の破片に当たりました。ドアの枠と金属のスクラップが飛んでいくのを見ました。イスラエル軍が探していた人物は家宅捜索した建物のなかにはいなくて、兵士たちがひきあげていったすぐあとに通りの反対側の建物から、震えながら、爆発の塵で真っ白になって這い出してきました。何人かの人がすぐ彼を取り囲んで、どこかへ連れ出しました。
破壊されたのは3つの建物で、もっと多くの建物が打撃を受けています。100人以上の人が家を失いました。
通りにあふれ出てきた女性たちも男性たちも叫び、泣き、そして、こう問いかけていました。
「どこに神様がいるんだ?どこに世界があるんだ?希望はどこ?」
多くの女性たちは気を失い、病院に運ばなければなりませんでした。爆破される前に壊された家の家族たちは何一つ所持品を運び出すことを許されなかったので、すべてのお金、服、家族の肖像写真……などなど、要するにすべての持ち物は破壊されてしまいました。車は逆さにひっくりかえり、ドアは枠が吹っ飛び、半径1マイルにある家の窓は砕け散りました。人々が幽閉されていたモスクの窓も全部砕け散って、こなごなになった破片が中にいた人の上に降り注ぎました。
旧市街に戻る道すがら、私は前屈みになった一人の年老いた女性が、両脇を2人の男性に抱えられていくのに出会いました。この女性は完 全に壊された家の持ち主でした。彼女と連れ合いは40年前に家を建てて、それ以来、子どもたちやその家族を育ててきました。彼女の人生のすべての記憶、記念のものは家の中にあったのです。私には彼女を慰める言葉がありませんでした。
この作戦は12時間で終わりました。数百の人々を幽閉し、多くの罪のない子どもたちを負傷させ、100家族から家を奪い取って──。
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翻訳:ビー・カミムーラ
※年末〜年明けのナブルスの厳しい状況については、http://palestine-heiwa.org/トップ画面の「緊急抗議呼びかけ」のところに参考になる文章がでています。
※※ナブルスについては、イスラエル、ハアレツ紙の記者、ギデオン・レヴィによる最新の記事で、偉大な都市が死んでいっているというレポートがだされています。この記事の中で、レヴィ記者は集団懲罰としての街の、家屋の破壊を厳しく批判しています。
\"Only the knafeh is still sweet\"
Gideon Levy
Sun., January 25
http://www.haaretz.com/hasen/spages/386462.html
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